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ブダペスト・ヴィーグ劇場【魔笛】 (ハンガリー語上演)

2010. . 01
Vígszínház
W.A.Mozart “Die Zauberflöte
(A varázsfuvola)”

2010.5.15 Sat 19:00

Sarastro・・・・・・・・・・・・・・・・Rácz István
Tamino・・・・・・・・・・・・・・・・・Nyári Zoltán
The queen of night・・・・・・・Lörincz Judit
Pamina・・・・・・・・・・・・・・・・Hajnóczy Júlia
1st Dame・・・・・・・・・・・・・・・Fodor Beatrix
2nd Dame・・・・・・・・・・・・・・・Simon Krisztina
3rd Dame・・・・・・・・・・・・・・・Gál Erika
Speaker・・・・・・・・・・・・・・・・Miller Lajos
1st Priest・・・・・・・・・・・・・・・Daróczi Tamás
2nd Priest・・・・・・・・・・・・・・・Clementis Tamás
Papageno・・・・・・・・・・・・・・・Nagy Ervin
Papagena・・・・・・・・・・・・・・・Gál Gabriella
Monostatos・・・・・・・・・・・・・・Debreczeny Csaba
1st boy・・・・・・・・・・・・・・・・・John Frost
2nd boy・・・・・・・・・・・・・・・・・Tassonyi Balázs
3rd boy・・・・・・・・・・・・・・・・・・Murányi Levente

Stage Direction・・・・・・・・・・・・Marton László
Conductor・・・・・・・・・・・・・・・・Török Gèza


大学の期末試験が終わりかけているので、最近みたオペラの感想をぼちぼち載せます。まずは5月半ばにハンガリー、ブダペストのオペラを観てきた時のことを書かせていただきます。天候が滞在中3日間とも暴風雨という最悪な状況だったのでほぼ観光は不可能でしたが、国立オペラの豪華な劇場でオペラを鑑賞出来ただけでもよしとします。内容はさておき建物はすごい豪華(笑)。

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1日目は国立オペラ劇場ではなく、ヴィーグ劇場という別の劇場で行われたハンガリー語版「魔笛」を鑑賞しました。チケットは国立オペラのボックスオフィスで購入できたので、同じ団体の公演なのだと思う。ちなみにこの日、同時刻に国立オペラでは「セヴィリアの理髪師」を上演していました。「ハンガリアン魔笛」か「セヴィリア」(こっちは原語のイタリア語)、どっちか迷った結果「魔笛」にしました。まぁ言葉はわからないけどせっかくハンガリーに来たんだし、他では見られないものを、ってことで。

劇場は街の中心からは少し離れたとこにあり、オペレッタでも上演しそうな可愛くてこぢんまりした外観、内装。でもオペレッタ劇場は別にあるから、ここは主にオペラを上演しているよう。ヴェネツィアでいうと国立オペラ劇場がフェニーチェ、ヴィーグがマリブランといったとこだろうか。内装はチューリヒに似た白亜の劇場。規模はあのチューリヒよりもさらに小さい気がする。舞台と観客が非常に近く、「魔笛」のようなジングシュピールや、オペレッタに向いている劇場だと思う。
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演出は現代風読み替えで、タミーノは大人になりきれない、いわゆる「ピーターパン・シンドローム」のような青年。冒頭は彼の部屋から始まる。部屋にはおもちゃの城があり「僕は王子だ」とパパゲーノに説明するのは彼の想像上の設定、といった解釈のようである。大蛇に襲われるのは夢の中の事で、幕があくとタミーノはベッドのなかでうなされている。すると3人の女たちが登場して悪夢を追い払う、といった感じだ。パパゲーノは黄色いTシャツにオレンジズボン、リュックを背負って窓から入ってくる。何者なのかは謎。ザラストロは恐らく大人の社会の象徴なのだろう。スーツにネクタイという現代の大人の恰好をしている。タミーノとパミーナに試練を与え、最後はめでたく大人の社会の仲間入り、ということなのだと思う。全ては自分の中での解釈ですが。

ザラストロの団体の場面では、舞台奥に劇場の客席が出現し、本物の観客は舞台上の観客席と向かい合うことになる。セット自体はこの前見たチューリヒ、カーセンの「トスカ」のようなアイディアだ。その客席が「大人社会」を象徴しているようで、タミーノとパミーナに与えられた試練は客席を横断することだった。火と水の試練ではなく。最後は合唱団とザラストロ、そしてタミーノとパミーナがその席に着く。しかし幕切れ直前に、彼の部屋の窓枠が現れる。タミーノはパミーナの手を取り、それに駆け寄る。窓の中の子供部屋を覗き込むと、もうそこには戻れないという繊細な悲しみが伝わってくる。全体としてはタミーノがいろいろ乗り越えて大人の社会の仲間入りをする、しかしそう簡単に過去を忘れることはできないというメッセージが込められているのだと思う。設定が上手く合致しないところは多々あるが、発想自体は面白いと思う。

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アール・ヌーヴォー風の感じのいいホワイエ

音楽的な話をすると、歌手たちは残念ながら粒ぞろいではなかった。タミーノ、パミーナ、ザラストロ、夜の女王ら、比較的真面目な役柄の歌手はよかったが、パパゲーノ、モノスタートスら三枚目は声が聞こえないこともしばしば。

タミーノはとても軽い声で、一音一音丁寧に発声していて、声がよく通る。見た目も王子っぽい。まぁ今回の設定では王子ではないが。試練の前にキーンリサイドのように上裸で登場し、肉体美を披露した。話はそれるけど、キーンリサイドは舞台で脱がないことの方が少ないんじゃないのかな。さすがにパパゲーノの時は脱がなかったけど(マクヴィガー演出、ロイヤルオペラDVDの参照)。

パミーナもタミーノ同様よく通る声でバランスのいいカップル。すごく明るく響く声なので2幕の、タミーノに捨てられたと勘違いする悲しみのアリアは感じが出なかったが、ppも非常に美しくてなかなか聴きごたえがあった。彼女はとても背が低くて、子供社会のマスコットキャラクターのようにも見えた。

ザラストロはそんなパミーナとは対照的に大柄でごつい体格。頭の大きさもパミーナの2倍はあるように見えた。その頭蓋骨を共鳴させて出てくる声は重量感があり、他の歌手とは違った空気の振動を感じた。低音もよく響く。

夜の女王は1幕のアリアでなかなか抒情的に歌っていた。技術だけの歌手ではない。しかし技術面は少し弱く、最高音がやや苦しかった。それでも全体的にはよく歌える歌手で、カーテンコールでは喝采を受けていた。

パパゲーノは声が曇りガラスを1枚隔てたような、くぐもった感じで声量も乏しくて残念だった。それでもカーテンコールでやんやの喝采を受けていたのは、役のおいしさと演技力があったからだろう。2幕のアリアではベッドシーツを女の子に見立てたパントマイムを見せてくれて、面白かった。モノスタートスも声が遠くから聞こえる感じ。革ジャンを着こなし、やけに飛び跳ねていた。

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オケはなかなか良い演奏を聴かせてくれた。小規模の編成だったが、超一流のオケにないような独特の勢い(ノリ?) があって小気味よかった。フルートの音色が明るく透き通っていて、印象的な「魔笛」だった。オーボエはよく言えば気取らない素直な、悪く言えばあっけらかんとした思慮のない音色だったのが気になった。指揮はテンポを飛ばし気味で、弦の細かいパッセージがはっきり聞こえないところもあったが、そういう技術面よりオケ全体に漂う空気が気に入った。「プロだけど楽しくやっています」というようなね。

ハンガリーでは拍手をするとき、観客が1つになる。フランスのアンコールやスタンディングオベーションのように、みんなが合わせて手拍子をする。でもこれは「すごくいい!」ということではなく、普通の拍手のよう。よかった歌手が出てくるとその時は音量が大きくなるが、それでもずっと手拍子。それがどんどん速くなり、追いつかなくなるとまた半分の早さから始まる。それの繰り返し。拍手1つとっても国民性や習慣が出るんですね。

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カーテンコールの動画です。その拍手の感じを感じてください。

チューリヒ歌劇場 【トスカ】

2010. . 10
Opernhaus Zürich
G.Puccini "Tosca"

2010.2.26 Fri 19:30

Floria Tosca・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Emily Magee
Mario Cavaradossi・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Franco Farina
Baron Scarpia・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Thomas Hampson
Cesare Angelotti・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Valery Murga
Mesner・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Giuseppe Scorsin
Spoletta・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Andreas Winkler
Sciarrone・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Morgan Moody
Schliesser・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Igor Bakan
Stimme des Hirten・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Claire von Ziegler

Inszenierung・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Robert Carsen
Musikalische Leitung・・・・・・・・・・・・・・・・・・Nello Santi

2月末にチューリヒに行った時の事を先に書かせていただきます。チューリヒは一番頻繁に行っている劇場だ。ヴェネツィアのフェニーチェよりもはるかに多い・・。

ハンプソンのスカルピアが聴きたくて買ったこの公演。彼の歌い方が様式というものに当てはまっているのかは疑問だが、それは別にしてハンプソンらしいスタイリッシュなスカルピアを聴くことができた。最近メトなどでもこの役を歌いだしたらしい。彼の新しいレパートリーなのだろうか?

演出は読み替えでお馴染みのカーセン。この演出の舞台は始終劇場で、舞台の上に客席、その奥にまた舞台があるというなんとも不思議な感じがする舞台装置。1幕ではカヴァラドッシは教会にではなく劇場の客席の壁に絵を描いている。テ・デウムは降臨劇のような出し物が劇場で催されるという設定。2幕では劇場の舞台裏がスカルピアの部屋になっている。実際の舞台裏のように大きく「Vietato Fumare」(禁煙)と書いてあるのに堂々と煙草を吸っているところで客席から笑いが漏れた。

タイトルロールを歌ったマギーは、この役には声が軽すぎるよう。新国「フィガロ」の伯爵夫人や「イドメネオ」のエレットラではなかなかいい歌唱を聴かせてくれたが、トスカでは低音では音程が不安定だし、Tosca(毒の意味も含む)の凄味というものは充分に出せていなかった。それでもやはり中音から高音にかけてはさすがで、「歌に生き、恋に生き」は迫真の歌唱で拍手がなかなか鳴りやまないほどだった。

カヴァラドッシのファリーナはいわゆる「テノール馬鹿」というカテゴリに当てはまるであろうテノール。声量はとてつもなく大きく、高音も良く出るのだが、抒情性というものがまるで感じられないし、棒読みならぬ棒歌いのような感情のない歌い方をする。たまに音程もぶら下がることもある。チューリヒではなかなかブーイングを聞かないが、彼には1人ぐらいブーイングしている人がいた。他の大多数は大きな拍手を送っていたが・・・。チューリヒの観客は結構甘いような気がする。

指揮はもともとカリニャーニの予定だったがサンティに変更になった。「変更後の方が大物」パターン。彼の棒のもとではオケはいつもずれがなくピシリときまるので気持ちがいい。サンティは相変わらず巨匠テンポ(超スロー)で、トスカにしてはあまりエネルギッシュな演奏ではなかったが、ここまで常識で考えられないぐらいテンポが遅くなると別の作品(いい意味で)のように感じられて新鮮。

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フェッラーラ市立劇場 【マノン・レスコー】

2010. . 04
Teatro Comunale di Ferrara
G.Puccini "Manon Lescaut"

2010.5.2 Sun 16:00
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Manon Lescaut・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Amarilli Nizza
Renato Des Grieux・・・・・・・・・・・・・・・・・Walter Fraccaro
Lescaut・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Josè Fardilha
Geronte de Ravoir・・・・・・・・・・・・・・・・・Alessandro Spina
Edmond・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Andrea Giovannini
Oste/Comandante di marina・・・・・・・・・Stefano Cescatti
Musico・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Federica Carnevale
Maestro di ballo・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Stefano Consolini
Lampionaio・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Roberto Carli
Segente degli Arcieri/Altro Sergente・・Romano Franci
Parrucchiere・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Alessandro Mathis

Orchestra Regionale dell'Emiglia-Romagna
Coro Lirico Amadeus-Fondazione Teatro comunale di Modena

Direttore・・・・・・・・・・・Gianluca Martinenghi
Regia・・・・・・・・・・・・・Pier Francesco Maestrini

フェッラーラはヴェネツィアから電車で1時間半、ボローニャから約30分のエミーリア=ロマーニャ州の小都市。ルネッサンス期にはエステ家が治めた地域で、今も街の中心にはそのお城が立っている。派手でもなく、そんなに大きくもないが質実剛健な一家だったのだろうな、と思わせるような佇まい。
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劇場はその城から通りを1本挟んだところにあり、旗が出ていないとうっかり通り過ぎてしまいそうな、なんてことない外見の建物。通りに面したバールとタバッキ(タバコ屋)と同じ建物に劇場があり、幕間には観客が劇場の外に出て、そのバールでプロセッコを飲んだりしている。正式名称は「テアトロ・コムナーレ」(市区町村など自治体の劇場)なので「市立劇場」という日本語訳が正しいかは自信がありません。すみません。
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うっかり見過ごしてしまいそうなテアトロ・コムナーレ

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歴史を感じさせる天井画

このプロダクションは、シチリア、パレルモのテアトロ・マッシモの物らしく、エミーリア=ロマーニャ州の他の都市でも同キャストで上演されていた。先月はモデナで数公演あったようだ。オーケストラは「エミーリア=ロマーニャ州管弦楽団」で、フェッラーラのようなオペラだけをやっているわけではない市立劇場は、専属のオケがないようだ。ボローニャは来日公演するぐらいなのでさすがにあったが、去年モデナで「二人のフォスカリ」を見たときのオケはパルマのオペラハウスのオケだった。今回の合唱はモデナのテアトロ・コムナーレの団体らしい。もう何がなんだかよくわからないが、イタリアのオペラハウス運営も大変そうでありますね。
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オーケストラボックスが狭いのか、打楽器はボックス席で。そして低音はチンバッソではなくテューバ

実はイタリアに居ながら、イタリアでオペラを見るのはかなり久しぶり。今回の公演で「イタリアオペラは声が第一!」精神はいまだ健在なのだな、と強く感じた。いい意味で。そして自称プッチーニ・ファンですが、恥ずかしながら「マノン・レスコー」を生で見るのは初めて。DVDで見たことはあったが、話の流れとして腑に落ちないところが多い。原作は読んだことがあって、そちらでもマノンの性格の理不尽さ(作者の意図するところではあると思うが)に驚かされたが、たった2時間のオペラであの話をキレイにまとめることは難しかったのかな。ちょっと説明不足なところが多すぎやしないか、と思った。特に4幕はDVDで見る限り無駄に長ったらしくて、少々うんざりすらした。

しかし、生で見てみるとそんなに長くも感じず(4幕も正味30分だし)、台本の不完全さをプッチーニの音楽で十分補っていると感じた。4幕だけではなく、1幕のデ・グリューのアリアのテーマは耳について離れないほど単純かつ秀逸だし、2幕ではそのテーマを匂わせて違う旋律を奏でてしまう「ジラし」がいかにもプッチーニらしくてニクい。間奏曲も個人的には他のどのオペラの間奏曲より好きです。(そんなにたくさんの「間奏曲」を知ってるわけじゃないけど)なんかプッチーニ特有のノスタルジアを感じますね。

さて、公演そのものはさっきも書いたように「声が第一」というイタリアオペラの信条のようなものをひしひしと感じるものだった。タイトルロールのニッツァはかれこれ7,8年前ぐらいに新国の「トスカ」を歌っていたのを聴いたことがあったけど、さすがにその時の事は覚えていない。その後も何回か来日しているみたい。正統派イタリアンソプラノと言えるような熱い歌唱を聴かせてくれた。細身で、モデルといっても通用しそうな体型にもかかわらず声量はしっかりあるし、声質もプッチーニの主役たちを歌うのにぴったりの声をしていると思った。

デ・グリューのフラッカーロは新国の「トゥーランドット」、フェニーチェの「カヴァレリア・ルスティカーナ」で以前に聞いたことがある。ロブストで太い声の持ち主。少し野暮ったい感じはするが、それでも声の力で十分魅せられる。ニッツァとの二重唱は声の饗宴といった感じで、なかなか良かった。

マノンの兄レスコーを歌ったのはポルトガルのバリトン、ファルディッラ。メータ指揮、紫禁城での「トゥーランドット」のDVDでピンを歌っていて、そちらでもしっかりとキャラの立ったピンを演じていた。生で聴くのは初めてだが、とても声の通るバリトン。声自体に際立った個性はないが、安定していたので安心して聴けたし、演技も主役2人に比べたらしっかりしていた。かといって2人が演技をしていなかったというわけではないが。

ジェロンテのスピーナ、エドモンドのジョヴァンニーニをはじめ、他の脇役たちもイタリアの地方劇場にも関わらず、粒ぞろいでしっかりした歌手たちを起用していた。たまにチョイ役だと、地元で長く歌っているものの、あまり声の良くない歌手を使ったりすることもあるみたいだが、今回は3幕に出てくる明り消しの男ですらいい声をしていた。

マルティネンギ指揮、エミーリア=ロマーニャ管は不思議なことに視覚と聴覚では違う印象を受ける。天井桟敷の下手側、オーケストラボックスの斜め上ぐらいに座ったからオケも良く見えたのだが、オケのメンバーはいかにもつまらなそうに、余計な動きはなしで演奏していた。これを見ただけではエモーショナルな演奏と対極な音を出すと思ってしまう。ところがどっこい、出てくる音はプッチーニらしく、登場人物の揺れ動く心情をエモーショナルに表現した音楽だった。こういう音楽ではオケもついつい感情的になって体を動かして演奏することもよくあるが、そんなことしなくてもちゃんと表現できるんだ、と改めて思った。音楽第一!

マエストリーニの演出はオーソドックス中のオーソドックス。今どきドイツやフランスではなかなかお目にかかれないような舞台だけど、決して手抜きではない。幕が開いたとたん18世紀のフランスにすんなり入っていける。衣装も細かいところまでしっかりしていたし、エドモンドの白めのメイクが自分のイメージの中のフランスにぴったり合致した。1幕は更紗を使っていて、舞台全体が昔を回想したかのようなほんわかとした温かい雰囲気で包まれていた。1幕のなんとも言えないノスタルジックなプッチーニの音楽とよく合っていた。

ジェロンテは車いすに乗ったよぼよぼの老人。2幕の幕開けはマノンの入浴シーンから始まり、ニッツァは実際に背中ヌードを見せていた。彼女ぐらいの体型じゃないとこれはできないよなぁ。車いすと部屋での入浴、キューブリックの映画「バリー・リンドン」を思わせるアイテムだ。この舞台の美しい視覚効果や照明、衣装などを見ると、もしかしたらあの映画を参考にしたんじゃないかという想像が膨らむ。

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2幕の舞台

各幕の終りにカーテンコールがあったが、たまに順番やタイミングがおかしいことがあり観客の拍手もあまり大きくなかった。全幕最後は主役2人と指揮者のみのカーテンコールだったが、拍手やBravoが予想以上に少ない。もしかしたらフェッラーラの聴衆は厳しいのかもしれない。

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チューリヒ歌劇場 【ホフマン物語】

2010. . 23
Opernhaus Zürich
J.Offenbach
"Les Contes D'Hoffmann

2010.3.26 Fri 19:30

Hoffmann・・・・・・・・・・・・・・・・・Vittorio Grigolo
Olympia・・・・・・・・・・・・・・・・・・Sen Guo
Antonia/Stella・・・・・・・・・・・・・・Raffaela Angeletti
Giulietta・・・・・・・・・・・・・・・・・Riki Guy
Lindorf/Copprlius/
Le docteur Miracle/
Le capitaine Dappertutto・・・・・・・・・・Laurent Naouri
La Muse/Nicklausse・・・・・・・・・・・・・Michelle Breedt
Andrès/Cochenille/
Frantz/Pitichinaccio・・・・・・・・・・・・Martin Zysset
Spalanzani・・・・・・・・・・・・・・・・・・Benjamin Bernheim
Crespel・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Giuseppe Scorsin
Peter Schlèmil・・・・・・・・・・・・・Cheyne Davidson
Maître Luther・・・・・・・・・・・・・・・Davide Fersini
Nathanaël・・・・・・・・・・・・・・・・・Thierry Duty
Hermann・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Kreŝimir Stražanac
Wilhelm・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Pablo Ricardo Bemsch
La voix de la mère d'Antonia・・・・・・Wiebke Lehmkuhl
Le capitaine des Sbires・・・・・・・・・・・・Adam Palka

Inszenierung・・・・・・・・・・Grischa Asagaroff
Musikalische Leitung・・・・・・David Zinman


3回目のチューリヒ訪問。まだ前回の感想を書いていませんが、新しいほうから失礼します。今回は「ホフマン物語」と「ラ・ボエーム」。「ボエーム」はクーラとフリットーリという世界最強といってもよさそうなコンビ。にもかかわらずチケットの売れ行きはあまりよくなかったよう。一方、「ホフマン」はほぼ売り切れ。僕は当日学生券狙いで1時間ほど前から並んでいて列の先頭だったが、僕の次の人はもう買えなかったようだった。ちなみに僕はちゃんと現役の大学4年生です。文章がおっさんくさいのは小さいときから耳年増だったからでしょうか、自分でもよくわかりません。ご了承ください(笑)

「ホフマン」は女声三役を歌うはずだったモシュクが健康上の理由でキャンセルしてしまったらしく、3役それぞれに違う歌手が配された。「ホフマン」をやるとなにかしらハプニングが起こるというジンクスがあるらしく、劇場側ははらはらしているという。今回も例にもれず、といったところかな。

さて、この日のタイトルロールはグリーゴロ。イタリアに来て初めて見たオペラ、フェニーチェの「ラ・トラヴィアータ」(昨年9月)で2回ほど聴いたテナー。前回よりも弱音の使い方が巧くなっている。チューリヒの箱の小ささを意識してか、綺麗なppを駆使して詩的なホフマンを演じていた。もちろんppだけでなく、彼の大きな声量も大いに生かされていた。それにしても彼の体力には恐れ入る。ノーカットの長大な版の終盤、3幕の最後でもエネルギッシュに吠えていた。細身でスタイルもいいし舞台映えのするいいテナーだと思う。しかしppにした時の語尾が消えてしまって聞こえなかったり、過度なクレシェンド、ディミヌエンドが不自然に聞こえたりする点は結構気になった。

敵役4役を歌ったのはフランスのバス、ナウリ。実演を聴くのは初めてで、評判は聞いていたが期待通り、いや期待以上のダイナミックな敵役達を演じていた。フランス語は母国語なので、歌はもとよりセリフ回しが自然に聞こえたのは大きなポイント。声質も深く渋くて、リンドルフの時の気品と、他の敵役の時の凄味、どちらとも巧く表現していた。特に凄味という点で、ミラクル博士やコペリウスの時の悪魔のような怪演は忘れられない。役者だなあ、と思った。お気に入りのバス・リストに入りそう。イキすぎと思える演技をしていても、頭が禿げかかってても、長身でスタイルがいいのでかっこよく見えてしまう。

モシュクの穴を埋めたのは3人の女声。オランピアは中国人のグオ。彼女は一度、同歌劇場の「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタで聴いており(感想はまだアップしてませんすみません・・。)、安定したコロラトゥーラ、鋭い高音を聴かせていたので今回は安心だろう、と思って聴いていた。まぁ、期待通り破綻もなく、アリアの2番では見事なカデンツァを披露したが、ツェルビネッタの時の技術をもってしたらもうちょっとカデンツァはアレンジを加えてもいいんじゃないか、と思ったりもした。しかしよく考えてみたら代役だったわけだ。それを考慮すると充分すぎる出来だった。マリリン・モンローのような金髪美女ロボットという演出なので、東洋人の顔はマイナスか、と思いきやバッチリメイクしてそんなに不自然には見えなかった(遠目にはね)。失礼ながら、相当濃いメイクをしてるんだろうなぁと思ってしまった。

アントニアを歌ったアンジェレッティは、イタリアやドイツの中堅歌劇場でキャリアを積んでいるソプラノ。細身で病弱なアントニアにあった容姿をしているが、残念ながら歌唱はやや荒削り。弱音は悪くないが、fでは歌のフォルムが崩れてしまうほどこれ見よがしに歌ってしまうので、この幕特有の繊細さが失われてしまった気がする。ナウリのミラクル博士は凄味がありながらも繊細だったので、アントニアにももう少し抒情的に歌いこんで欲しかった。

ジュリエッタはイスラエル出身のグイ。こもりがちな深い声で、他の歌手とのアンサンブルになると弱いが、ジュリエッタの退廃的な感じはよく出ていたと思う。この幕の舞台装置は全然ヴェネツィアらしくなく、明るいサロンのようなところだったのであまり退廃的な印象はないセットだったが。

ブリートは、お調子者ながら力強くホフマンをサポートする忠実な友ニクラウスをよく演じていた。歌っていないときも細かい演技をしてて、好感が持てた。声の方はあまり通る方ではないようだが、声量はある。だがそれが逆に、力だけで押し切っているように聞こえなくもない。切れ味の悪い包丁で、力を入れて玉ねぎを刻んでいるような感覚。そう言ってしまうと聞こえは悪いかもしれないが、実際それほど不満があったわけではない。ホフマンに続いて出ずっぱりの役だが、グリーゴロのホフマンに負けず劣らずの体力を見せていたと思う。ちなみにブリートは新国の「フィガロ」でケルビーノ、前回チューリヒに来た時にみた「ナクソス島のアリアドネ」の作曲家を歌っており、ズボン役ばかりの印象がすっかりついてしまった。

脇役もなかなか多いオペラだが、全員しっかりとした声と個性を持っている歌手たちだった。特にコシュニーユやフランツなど4役の三枚目を歌ったツィセットは、ドイツ語圏のオペラハウスでは指折りの名キャラクターテナーではないかと思う。すっとぼけた演技とあっけらかんとした声が何とも言えない可笑しさ。かといって必要以上に出すぎることなく、きちんと脇役に徹している。変な言葉だが「堅実な可笑しさ」という印象を受けた。

スパランツァーニのベルンハイムも、この役にしか出ないのが惜しまれるぐらいいい声の巧い歌手だった。脇がいいといい!

ジンマンの指揮は全体的に遅めの安定したテンポで、オケもそれに応えて一音一音確実に正確な音を出していた。しかし決して堅苦しいわけではなく、あくまでも自然な音楽の流れを、作為的に聞こえないように絶妙に奏していた。バランスもすこぶるよくて、こういうことがナチュラルに出来るのは大御所ジンマンのなせる技なのかな、と思った。個人的にはサンティの振ったこのオケよりもいい音を出していたと思う。

「ホフマン」にはいろいろな版があるが、この版は今まで見たことも聞いたこともない。特に3幕、ヴェネツィアの幕ではダペルトゥットの「輝けダイヤモンド」が知らない音楽に乗せて歌われていたし(歌詞が全く同じかは定かじゃないが、同じような歌詞だったと思う)、3幕途中で警察が介入してくる展開も初めて見た。どの版かは恐らくプログラムに書いてあるのだと思うが、ドイツ語が読めないので分からない・・。どなたかご教授下さい。

この版は全体の時間が相当長くなってしまうようで、1幕のスパランツァーニとコペリウス、2幕のホフマンとアントニアのやり取りなどは音楽なし、セリフで行われていた。なんだかもどかしい。特に2幕は音楽的に一番充実していると思う幕なので、省略してほしくなかった・・・。

演出は日本でもおなじみのアサガロフ。現代が舞台で、シンプルであまり装飾の多くない舞台だが、プロローグとエピローグのルーテルの酒場はとても雰囲気のいいレストランバーのようなところで、こういう店があったら是非行ってみたいと思った(笑)

全編を通して、石のようなものを象徴的に使っていた。1幕ではオランピアの収まっている箱の上に溶岩のような灰色の反液状のものが垂れていた。2幕ではそれが固形になったのか、アントニアの家の天井から大きな岩がぶら下がっていた。これはマグリットの絵のようだったが何を意味するのかはつかめなかった。3幕ではその岩はどうなったのか不明。代わりに鏡が多用されていた。岩は何かのメタファーだったのか、頭が悪いせいでよく呑み込めなかった。

「ホフマン」を見た後はなぜかいつもぐったりしてしまう。軽そうに見えて結構聴きごたえがあるせいかもしれない。それと個人的にいろいろなことを考えさせられる・・・

バイエルン国立歌劇場 【フィガロの結婚】

2010. . 18
Bayerische Staatsoper
W.A.Mozart "Le Nozze di Figaro"

2010.3.14 Sun 18:00

Il Conte di Almaviva・・・・・・Michael Volle
La Contessa di Almaviva・・・・Barbara Frittoli
Figaro・・・・・・・・・・・・・Erwin Schrott
Susanna・・・・・・・・・・・・Laura Tatulescu
Cherubino・・・・・・・・・・・Kate Lindsey
Bartolo・・・・・・・・・・・・Christoph Stephinger
Marcellina・・・・・・・・・・・Heike Grötzinger
Basilio・・・・・・・・・・・・Ulrich Reß
Don Cruzio・・・・・・・・・・・Kevin Conners
Antonio・・・・・・・・・・・・Alfred Kuhn
Barbarina・・・・・・・・・・・Elena Tsallagova

Inszenierung・・・・・・・・・Dieter Dorn
Musikalische Leitung・・・・・Juraj Valcuha



久々の更新になります。1か月ほどほったらかしですみませんでした。この間、オペラなしのスペイン、ポルトガル旅行に行ってパスポートを盗まれるという災難にあい、ゴタゴタしていました・・。



さて、この公演はミュンヘン2日目。前日の「セヴィリア」に続いて立ち見席だけど、3階席なのでわりと良く見える。視界は上手が若干見切れるがほぼ全体を見渡せる。このプロダクションは、数年前の来日公演の時に持ってきていたディーター・ドルンの演出。その時は金欠で(まだまだ子供だったし)とてもじゃないけど行けなかった。確か指揮はメータ、トレケルの伯爵、ターフェルのフィガロ、コッホのケルビーノ、ローテリングのバルトロだったとの記憶がある。

今回のキャストは来日公演ほどではないが、若手を中心としたなかなか豪華な歌手陣。フリットーリ、シュロットといったスター歌手以外にも、名前は知られていないが実力のある歌手もちらほら。

この公演は「フィガロの結婚」というより、「アルマヴィーヴァの災難」という題名に付け替えてもよさそうなぐらい伯爵が中心の舞台に仕上がっていた。4幕の幕切れでは伯爵が舞台中央で「これでおしまい!」みたいな仕草をしていたことから、このオペラ全体のストーリーテラーのような印象を受けたということもあるが、何よりもフォッレの演技、歌唱の存在感によるところが大きい。チューリヒ「ラ・ボエーム」のDVDではマルチェッロを歌っていて、そのディスクでは荒っぽい声という印象だったが、実演に触れて見ると貴族的な落ち着きのある声と、コミカルな演技の両方を巧くこなす実力のある歌手だということが分かった。すごくハンサムというわけではないが、長身で舞台映えするということも視覚的には大きなプラス要素。

フリットーリは期待通り、ふくよかでスケールの大きい伯爵夫人を歌い、演じていた。特に3幕のアリアはメロディの流れにppとfを自然に織り込み、至高の美しさだった。伯爵夫人にしてはずいぶん若い外見と思わないでもないが、原作の設定ではまだ30歳前後ということなので、それには合致する舞台姿。でもフリットーリの実年齢は43歳らしい!そうは見えない美しさと若さを保っている。歌唱的にはそろそろ一番いい時期に差し掛かるのだろうか。現代最高のソプラノの1人だと思う。高音の跳躍で1か所無理をしているような声に聞こえた個所があったが、それでも全体的には文句のつけようがない出来。声を大事にして長く歌ってほしい。

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豪華なシャンデリアが輝くロビー


今、世界中で引っ張りだこのシュロットは深みのある声が魅力的。彼は喋るような自然な歌唱を目指しているのだろうか、しばしば歌うというより語るように台詞を言うことがある。これ自体は面白い試みだと思うが、やり過ぎてオペラなんだかつぶやきなんだか分からなくなってしまうことがある。声を張って歌ってほしいところでもそれをやってしまうのでもどかしいと感じることも多々あった。それに加えて台詞や歌の初めの部分が不明瞭なことが多く、歌詞がよく聞き取れないこともあってとても残念。演技は自然で巧く、アリアでは朗々としたバスを聴かせてくれてよかったんだけど・・・惜しい!

スザンナを歌ったタトゥレスクは、前回のウィーン国立歌劇場の来日公演「コジ」でデスピーナを歌っていた歌手。今回もスーブレット役での登場だが、このような役によくあった声をしている。しっかり者の小間使いの演技も板についていて、アンサンブルでも全体をよく引っ張っていたが、ソロになるとすこし弱い感は否めない。他の歌手と比べると声量がやや乏しいこともあるし、メロディの起伏に上手く強弱を乗せられていない個所も見受けられ、あまり個性のないソロになってしまっていた。4幕のアリアは聞かせどころにもかかわらず、そのような感想を持ってしまったので、なんだか勿体ない気がする。

伯爵夫妻に次いで感銘を受けたのがケルビーノを歌ったアメリカのメゾ、リンゼー。メトのヤング・アーティスト・プログラムに参加し、アメリカを中心にキャリアを積んでいる若手歌手。メトのライヴ・ビューイングの『ホフマン』でガランチャの代役でニクラウスを歌って成功を収めたという。そちらの映像もぜひ見てみたい。淀みのない透き通った美しい声と、長身でスラっとした体格、そして切れ目の美少年らしい容姿が、思春期に差し掛かった脆くも危うい少年ケルビーノにぴったりだった。これからズボン役を中心に人気が出るんじゃないかな、と思える期待のメゾだ。

バルトロはやや弱かったものの、そのほかの脇役歌手も手堅く安心して聴けた。特にバジリオのレスは、慣例的にカットされる4幕のアリアも見事に歌っていた。マルチェリーナのアリアはカットされていた。

飛び道具的な破壊力があったのがアントニオを歌った(というより演じた)クーン。60代か70代か、とにかく相当なベテランだが、舞台を裸足で、まるでぜんまい仕掛けのおもちゃみたいにチョコチョコ歩く姿は大きな笑いをさらった。歌も殆ど歌ではない語りのようだったが、この役ではその方が話のわからない酔っ払い親父の感じが出ていい。3幕では彼が出てくるだけで笑いが起こるほど。

ドルンの演出は時代設定は変えていないが、装置は最小限に抑えられ歌手の演技にゆだねられているところが大きい。その点では今回の歌手たちはみんな芸達者だったのでよかった。1幕から3幕までは椅子やベッドなどの家具と、色のついた扉やカーペットがあるが、4幕では舞台は一面真っ白。床は大きなシーツのような布で覆われていてそれ以外は何もない。本来、漆黒の闇が支配する夜の庭が舞台だが、ドルンは全く逆に眩いばかりの白が支配する舞台に変えていた。白は潔白、そして何色にも支配されていない色ということで、身分もヒエラルキーもない原初状態の人間を現しているのだろうか。確かに4幕では各登場人物が肩書ではなく、ただの男と女という立場で各自の感情をぶちまける幕と言えるから、そのことを象徴的に視覚化したのかもしれない。

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3幕の舞台


指揮は若手のValcuha。ブラチスラヴァで指揮を学んだとプロフィールに書いてあるからスロバキア人だろうか。何人であれ、よくオペラを知っている指揮者だな、と感じた。冒頭の二重唱からアンサンブルがずれてひやひやしたけど、それは恐らく発音が遅いシュロットのせいだろう。全体的には歌手とオケの両方を見事に融合させ、確固としたアンサンブルを作り上げていたし、落とすところはスッと引いて出すところは出す、思わず膝を打つような見事な音楽づくりだった。こういうのは劇場たたき上げの職人的指揮者に多いタイプだが、彼は実際はどうなのだろうか。ボローニャ、フェニーチェ、ベルリン・ドイチェ・オパーなどの中堅歌劇場のみならず、オスロ・フィルやピッツバーグなどのシンフォニーオケも指揮しているみたいだからオペラとシンフォニーを両立しているようだ。彼もこれから期待できる若手の一人だと思う。

昔、どこかで「退屈な『フィガロ』上演はありえない。どんな公演でも楽しい」という趣旨の文章を読んだことがある。確か小澤塾のパンフレットの中で、海外の音楽研究家が書いていた文章だったと思う。これは作品の秀逸さを表現した、モーツァルトとダ・ポンテへの賛辞の言葉だが、例えそうだとしても今回のように演技、歌唱共に巧みな歌手が揃った『フィガロ』に出会った時の喜びはひとしおだ。また、名前が世界に知られたスター歌手だけではなく、実力のある若手歌手、指揮者に出会うことができるのもいいことだ。わざわざミュンヘンまで来た甲斐があったというものだ。

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